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『ミュージカル』
マンマ・ミーア

これが見たくて見たくて…!面白そうですよね!
ABBAが懐かしい!

ミュージカルなんてもぅ何年行ってないだろ。
忘れた…確か最後にみたのは「アンネの日記」だったかな。
母の人づてでチケットを安くてに入れられたのがキッカケで、当時5歳~9歳だった羅生はどっぷりはまりました。
キラキラしてて、笑顔で、照明が高くて、何より私と同じくらいの子供が舞台ってものをしりつくしていて、私も見習わなきゃ!って勉強になった。
私の演技力を変えた舞台は「アニー」。10年以上たった今でもフィナーレ曲の「明日」は覚えてます。
アニーの不幸にハラハラして、歌にドキドキして、すごく感動して。
私も頑張ろう!って思える舞台だった。
当時の私はバレエを楽しむ余裕なんてなくて、仕方なしに行って、トゥシューズには血が溜り、穴があいては買い換えるから月一で購入していた。足も成長するからきつくなるし、タイツは血だらけで泣きながら自分で手洗いした。
8歳~13歳は特に酷かったと思います。
小学4年の時に左足を酷く捻挫してギブスをはめ、その時にかかった医者がヤブ医者(○田整形は絶対ダメよ!)で今でも左足はサイズも長さま小さめで、バレエを踊る時に最後まで大変苦労しました。
左足を軸にしたアラベスクができなくて悔し泣きなんてしょっちゅう。

3歳~8歳の頃はモダンバレエをやっていたので体は柔軟でそれだけが取り柄みたいなもんでした。

中学2年の時、全国大会みたいな発表会があって、うちのバレエ団から3人選出するという絶好の機会がありました。
毎年ある大会だったので、そりゃもう小さい頃から見てきた人たちはみんな上手で憧れの選手ばかり。
その大会に選らばれるには先生がみ染めたバレリーナだけで、立候補なんてのはありません。
しかもうちのバレエ団はまぁそこそこ大きめで、地区教室があったんです。
羅生はその地区教室の一つに通っていて、自分には関係の無い話だ…って考えもしませんでした。
その選出期間はどの教室でも同じ曲を練習しなくてはならないので、関係なくても踊れるようにならなくてはなりません。
私はその中の一曲の「ブルー・バード」がちょっと気に入ってて、楽しかった。童話青い鳥のブルーバードです。

練習を始めて数週間後、練習が終わりバーの片付けをしていたら私だけ先生の所に呼ばれました。
「もっと頑張ればブルーバードに選出できるかもしれない」と!!
無関係だと思ってた大会の選手候補になれるなんて!家帰ってお母さんに話ました。信じてくれなかったです(笑)
そりゃ捻挫から復帰したばかりだったしね…。
それからは合同練習が終わった後は羅生ひとりの個人練習がはじまりました。
私としては血まめが潰れる練習なんかしたくなかったってのが本音でした。しかも友達のMちゃんのお父さんに車で送り迎えしてもらっていたので私のせいで帰りが遅れるMちゃんに申し訳なくて。
Mちゃんは私の幼馴染みで3歳の頃バレエを始めたのもMちゃんの紹介です。仲良しだと思っていたのに、私だけ選ばれた事でかなり態度が変わって、嫌味ばかり言われました。当時の私には急に嫌われたので意味がわからなかったです(笑)教室のみんなも私をみる目が全然違うのです…。あすかちゃんには知らない所で睨まれました(・ω・;)

しばらくすると先生の勧めで本部に通うことになりました。やっぱり地区教室と本部とではスパルタが違う!ハリセンでおしりをたたいて「もっと力入れる!」とか肩を両手で押さえ付けて「力抜くの!」とか、もう毎日泣き我慢。
ブルーバードとはトゥシューズでアラベスクを連発する踊りで、鳥のように両手をパタパタするのでバランスが命です。
左足のせいでアラベスクがうまくいかず、結局選手候補にはなれませんでした。急に誰も言わなくなったので、ダメだったんだ…と、そう思いました。

………そう思ってたんです。

一年ほどして、高校受験を理由にバレエをやめました。何より楽しくなかったし…痛かったし…、選らばれなかった時に自分には才能がなかったんだと諦めました。
それから3年後、親から聞かされた事実。
あの時羅生がブルーバードに選らばれなかった理由は私の実力不足だったのではなく、本当はオーディションまで行くはずだったのです。何故私はオーディションの声がかからなかったのかと言うと…

同じ地区教室に通っていたあすかちゃんという女の子。私より二つ下で、親が熱心なバレエ馬鹿、親馬鹿で、今でも毎日のように菓子折りもって教室のすみで練習を見学していたのを覚えています。そのあすかちゃんも、キビキビした性格でリーダー気質。正直言って実力はあるが演技力はなく、数学を解くような踊りでバレエに必要な妖艶さや滑らかさは皆無に等しかった。
そのあすかちゃんの親が、羅生だけ個人授業があることにクレームをつけはじめ、しまいには羅生の親やMちゃんの親に嫌味を言い出し、先生に酷いクレームをしょっちゅう言っていたんだそうです。耐えられなくなった先生は選手候補を羅生からあすかちゃんに代えたらしいのです。
そんな事まったく知らなかった私。
事実を知った時はショックで何日もがっかりしました。今では怒りしか沸いてきません。
オーディションに選ばれるとは思ってなかったけど、それでもオーディションにでたって事がきっと15年間バレエを続けた報いはあったはずです。
そんなに上手ではなかった私に無駄に希望を抱かせて慰めもされずに何事もなかったかのようにしたバレエ団も、強攻手段にいたってでも我が子を選らばせる親馬鹿も、劣等感を押し付けてくるMちゃんも、率先して頑張らなかったあの時の私も、腹がたって仕方がないのです。
もう終わった事だから、今では馬鹿馬鹿しいとしか思えないのですが、なんだか今までやってきた私ってなんだったんだろうと思うと、努力って物に信じられなくなりました。
ミュージカルを忘れていた10年の間の私を思い出すように今、またミュージカルを思い出しました。
今は懐に余裕がないから無理だけど、いつかまたミュージカルがみたいな…と、そう思うのです。

イノセントは一度手放すと戻ってこない。

知るって行為は心の自殺行為なんだと、なんだか切なくなる子ども時代でした。
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【2006/04/07 21:21】 未分類 | トラックバック(0) | コメソト(0) |
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